実は「日本発」の光触媒

 光触媒という言葉を普段聞き慣れない事から、海外から来た技術だと思ってしまいがちなのですが、実はココ日本で発見され、日本で技術が進化したものなのです。
「日本発」の技術なのですから世界にもっと誇っていいのですが、化学的で難しい内容なので世間には中々浸透していません。
 このページではどのようにして光触媒が発見されたのか、発見したのはどの様な人なのか、そう言った事を知って頂きたいと思います。

偶然の研究

 光触媒の発見者として知られている藤島昭は1942年東京都世田谷区生まれ。
第二次世界大戦の最中、中学入学まで愛知県豊田市に疎開をしていました。横浜国立大学工学部電気化学科を卒業し、東京大学大学院工学系研究科に在籍していた時にドイツの化学者アレクサンダー・エイブナーが1911年に発表していた研究論文を基に、白金と酸化亜鉛を用いた実験を行いました。この実験では白金と酸化亜鉛を水の中に入れ酸化亜鉛に光を当てるというもので、光を当てると水が分解され酸素と水素が発生する結果になります。
 この実験を更に進化させようと、酸化亜鉛の代わりに様々な物質で実験を繰り返す中、酸化亜鉛によく似た構造を持った「酸化チタン」を隣の研究室が大量に使用していた事から分けてもらい実験を行います。

本多・藤嶋効果

 1967年に水溶液中の酸化チタンに光をあてると酸化チタンから酸素が、白金から水素が発生し、さらには両電極間に電流が生じる事を発見した藤嶋は、1968年に指導教官である本多健一とともに日本化学会の工業化学雑誌に論文を提出。

複数の学会の討論会で発表を行うも、ほとんど相手にされる事はなく非常に悔しい想いをすることになりますが、1972年にイギリスの科学雑誌ネイチャー誌に取り上げられ、世界的に称賛を受けました。
 その後、日本でも評価を受け、この本多・藤嶋効果を基に、現在の様な酸化分解と超親水性を生かした研究を進めていきました。

 

 

まとめ
光触媒の発見は藤島昭氏が東京大学大学院在籍中に発見
本多・藤嶋効果として論文を発表するも、最初は相手にしてくれない
イギリスのネイチャー誌に取り上げられたことで一気に広まる
最初は水素エネルギーが水と太陽のノーコストで出来るという観点で注目された
研究を進めると様々な特徴が分かり、更なる分野で進化していった